Monday 27 September 2010

マレー半島沖で散った中里宏

宏は大正11年(1922年)8月17日に群馬県群馬郡大類町(現高崎市)中里家の次男として生まれた。この時、父忠作37歳、母のはるは30歳だった。高等小学校を卒業し、実家の農業を手伝っていた昭和17年(1942年)の冬、20歳の時に召集される。昭和20年(1945年)5月15日23歳でマレー半島沖にて戦死。

戸籍の記録によると「昭和弐拾年五月拾五日時刻不詳 マレー半島シンゴラ沖ニ於テ戦死 横須賀地方復員局人事部長斎藤昇報告 昭和弐拾弐年七月弐拾弐日受附」

父の記憶はあやふやで、サイパン近辺の海で戦死したらしい、鳥取丸という大きな船に乗っていたと子供の頃に聞いたという。宏は海軍に所属していたため、戦歴は厚生労働省の援護局に問い合わせることにした。まもなく記録のコピーが送られてきた。

入籍番号:横一補水大14714号
兵種:水平
所管: 横須賀鎮守府
入籍時: 学力 国高了 職業 農業
服役年期: 一補編入 昭和17年12月1日
戦没時所轄:船警 鳥取丸 整理番号 1-7222

昭和17年(1942) 12月1日 第一補充兵役編入

昭和18年(1943) 6月7日 海軍兵籍編入(昭和18年勅令題四百二十一号)

昭和18年(1943) 12月15日 横須賀第一海兵団 充員召集ヲ命セラレ参着

昭和18年(1943) 12月15日 海軍二等水兵ヲ命ズ

昭和18年(1943) 11月1日 兵役法改正ニ依リ服役満期は年齢四十五年ニ満ツル年ノ三月三十一日トナル(昭和十八年法律第百十号)

昭和19年(1944) 1月11日 上海海軍特別陸戦隊

昭和19年(1944) 4月1日 海軍一等水兵ヲ命ズ

昭和19年(1944) 4月13日 横須賀海軍警備隊

昭和19年(1944) 4月24日 大阪着(宇賀丸便乗)

昭和19年(1944) 5月2日 船舶警戒部

昭和19年(1944) 6月2日 附属艇配乗 (鳥取丸)

昭和19年(1944) 9月1日 兼横浜警備隊附ヲ命ズ

昭和19年(1944) 11月1日 海軍上等水兵ヲ命ズ

昭和20年(1945) 5月1日  海軍水兵長ヲ命ズ

昭和20年(1945) 5月15日 戦死

昭和20年(1945) 5月15日 任海軍二等兵曹

昭和20年(1945) 5月15日 マレー半島シンゴラ沖ニ於テ戦死


宏が出征した時、私の父は7歳で、終戦時には10歳、はるは53歳だった。宏の戦死は終戦のわずか3ヶ月前の、昭和20年5月。家族は宏の生死を2年近く知らずにいたのだろうか。戦死はその2年後に記録されている。長男清季も昭和19年に戦死しているが、戸籍の記録(後述)は21年の暮れとなっている。

宏が乗船していた鳥取丸は、捕虜輸送にも使われていたため、連合国側では”HellShip(地獄船)”として悪名高い。南洋の戦地から収容所へ捕虜を運ぶ際に、狭く不衛生な船底に多くの兵士が押し込められ、日本や韓国まで何日もかけて運ばれていった。

1945年の5月15日、ベトナムのサイゴンを出てハッチェン(ハティエン Hat Tien)経由でシンガポールへ向けて航行中の鳥取丸はマレー半島東海岸、タイのシンゴラ(ソンクラー:シンゴラはマレー語)沖で、アメリカの潜水艦ハマーヘッド(Hammerhead)により撃沈された。この時の搭載物は米。乗組員は52人いたということで、この中の一人が宏だった。

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