Tuesday 28 September 2010

国高了

入籍時の学力は「国高了」だ。これは国民学校高等科卒業という意味だろう。

当事は今と違って分岐型学校体系。中里家は地元の名主で農地を多く所有していたので、息子たちは必然的に家業を継ぎ、進学する必用はない。宏は尋常小学校を卒業すると、中等教育は高等小学校に進学した。

1907年以降、義務教育は尋常小学校の6年間で、その後、高等小学校に進学した場合、更に2年間の教育を受けた。1941年に国民学校令が施行されると、高等小学校は国民学校高等科と呼ばれるようになる。

宏が高等小学校を卒業して計8年間の教育を終えたのが14歳、1936年だとすると、その当事はまだ高等小学校と呼ばれていた。ところが、宏が入隊した時点では国民学校高等科に変わっていたので「国高了」と記録されているのだろう。

宏は学校卒業後、20歳で兵役に取られるまでの5年間、実家で農業に従事していたことになる。

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